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creator's seminar
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元エルマガ編集長、沢田眉香子さんとアートブック『PARK』編集長、藤本智士さん、イラストレーター小澄源太さん、フォトグラファーmasacova! さんを迎え、日頃の仕事やモノ作りについての本音、「作る側」と「仕掛ける側」双方の意見や考え方について語って頂きました。
沢田:
今日は作る側としてイラストレーターとフォトグラファー、仕掛ける側として私と藤本さんでお話するのですが、まさにこの二つの関係がないとモノってできないんですよね。そこで皆さんがまさに聞きたいこととしては「どないしたらこんな風に好きなことが表現できる様になれるんやろ?」というところだと思うんですけど、masacova!さんは例えば写真新世紀で見出されたってのがあると思うんですが、それがきっかけにしろ、それだけではお仕事ってすぐには成立しませんよね?
masacova!:
そうですね。フリーで仕事としてやるまでには、2〜3年かかりました。最初ストリートファッションマガジンに作品を1個持ち込んだんですよ。なんかね、シャッター・アンド・ラブっていう96年に出た’70年代生まれの女の子の写真家が撮った本があって、それと自分が撮った写真を持って。
沢田:
小澄さんはどうでした?やっぱり個展がポイント?
小澄:
僕はね、あんまり売り込みとか、イラストレーターとしてやっていきたいとかなかったんです。たまたま、24歳までに描いていた絵がたまっていたんで。意欲的というより、もったいないから個展してみようかな〜と。それで、初個展の時にEGO-WRAPPIN'(以下、EGO)の人達が見に来てくれてCDのジャケットにしようかと。EGOのジャケットを作ってからも別にイラストレーターで食べるつもりはなくて、趣味で絵を描きたかった。僕はね、あんまり売り込みとか、イラストレーターとしてやっていきたいとかなかったんです。たまたま、24歳までに描いていた絵がたまっていたんで。意欲的というより、もったいないから個展してみようかな〜と。それで、初個展の時にEGO-WRAPPIN'(以下、EGO)の人達が見に来てくれてCDのジャケットにしようかと。EGOのジャケットを作ってからも別にイラストレーターで食べるつもりはなくて、趣味で絵を描きたかった。
沢田:
藤本さんは個展とかを見に行ってアーティストを探して、自分の媒体とか雑誌などで取り上げる立場やと思うんんですけど、どうやってアーティストを発掘します?
藤本:
ひたすら見に行きます。やっぱり新しいものに出会いたいし、で、ほんまにいいもん見つけた瞬間って、ほんまにめちゃめちゃハッピ〜なんでそれを味わいたいだけなんです。ほんま、麻薬みたいなもんで(笑)。でもそれが僕は本物の編集者やないんかなと思うんですよ。
沢田:
その後、続けていくことってより難しいと思うんですけど。
masacova!:
なんか、いろいろ最初落ち込んだりとかもしました。撮ったらバカにされたり、撮ったらかえってあかんのかなとか辞めようかなとか。でもそれを全部、自分の中で消化して、落ちついたら「好きやねんからええやん」と思えるようになったんです。仕事を受ける時も直感で嫌やと思ったり、人が嫌やなと思ったら楽しめないから、別においしい仕事でもできないですね。胃が痛くなる・・・かなり写真にも反映しますしね。藤本さんみたいな人とか分かってくれる人がいないとほんと、作る側の人間は難しいですね。人と人がすることやから。
小澄:
やっぱり3年とか2年前ハマってた当時の絵と今とでは、絵に対するハマり方が違うんで、どっちが悪いと言うのではないんですけど、「2年前のタッチでお願いします。」と頼まれてもやっぱり描けないですね。2年前のタッチでは。その時は「描けません」と言って通る時もあるし、「いや描いて下さい。」と言われる時もある。やっぱ、その辺は仕事としてかなり厳しいですね。
藤本:
商業誌で何かをやらせてもらってる中で、それはアートに関わらず、お芝居とか映画とかいわゆる知名度が重視だったりが嫌だったので、自分で作ればいいやんって作ったんですよ。PARKで源太くんと周ちゃんがやった時なんてかなりむちゃくちゃで、見てて気持ちいいし、楽しいし、絵、描くのっていいな、表現するのっていいな、モノ作るのっていいなってすっごい思えるからそれを感じてもらえるモノを、それがどれだけの人に伝わるかは分からないけれども、僕はそう思っているからそれを伝えたいっていうのが一番ある。
沢田:
東京ってどうですか?masacova!さんは現状、東京ベースでやっていらっしゃいますが、東京行かないと成功じゃない?皆がそう思っているような。
masacova!:
いや、そんなことはないと思う。私は写真やからね。たぶん、源太くんみたいに絵やったらこっちに居たかもしれないけど、やっぱり現場仕事やから、なんかしらんまま過ごすより、一生じゃなくてもいいからしばらくは向こうでいろんな人と出会ったり、そういうのも必要かなっと思って。びびりながらも興味があるんやったら行ってもいいんちゃうかなぁ。
小澄:
僕は腕試しする所が東京だとは思ってないし、東京行く理由があれば、行ってもいいと思うけど、考えてもまだ理由がないんですよ。自分のやりたいことに対していろいろ方法はあると思うので理由があれば、行くかも知れないですけどね。
沢田:
以前、藤本さんと話していて、自分はあえて井の中の蛙になろうと思う。とおっしゃっていたのが印象的だったんですが、関西に根を這っていくってことですか?
藤本:
例えばこのアーティストが凄くいいと思っても、その子は何かの作品に似ているとか言われたりするじゃないですか、でもそれはたまたまかもしれない。僕はほんとにその子から生まれてきたモノなのかどうなのかそっちを追求したいんです。こういうのよくあるなとか、誰々に似てるなとかそういう見方よりもなんでこの子からコレが生まれてきたんかという、ほんとにその人間を追求したい。
沢田:
例えば編集長とか統括する部署になってくれば来る程、相対的にものを見るようになってくるんですよね。あれに比べてこう、これに比べてこう、3年前に比べて今の表現はとか、将来はこうなるから今するべきことはこうみたいな、今、この人からしか生まれない絶対的なモノをすっとばして、今の世界情勢がこうだからとか、こういう作品がはやりだからとか、その人やその作品をだんだん見なくなってきて、それが表現を面白くなくしていると思うんですよね。クリエイターとして生きていくにも当然お金の面でそういった相対的な計算が働かないといけない面もあったりするんだけど、でも実際、その人の中からしか生まれてこないモノを突き詰めるって事は、それは計算の中からでは生まれてこないものなんじゃないかなと思う。でも生きていくためには両方必要なんやろなと私なんかの立場だと苦々しくも思ったりしますね。
masacova!:
仕事していくのも人と会うのも好きなんです。作品を作るに当たって人とのつながりや影響は普通に大事です。ほんまに大事なことってすっごいシンプルなんやと思う。難しく考えたりとかそんな時期も大事やから全然あってオッケ〜だけど、最終的にはすごいシンプルやと思う。
小澄:
24の時ってまだ、イラストレーターになるつもりなんてなかったんですよ。それまでってすごい遊んでたし、旅行も行ってた。でもそれだけじゃここに座れてなっくって、絵だけはすっごい描いてたんですよね。ものすごい。イラストレータとしては描き続けることが大切かなと。
藤本:
人が見て自分と何かをしたいと思ってもらえる人間になれてんのかどうかみたいなとこもふと考えてみて欲しい。それと、型に捕われない、世界の常識とか突破らってフラットにしてモノを考えるっていうことをやってみるっていうことが必要じゃないかなと思う。
satoshi fujimoto  ::: editer
有限会社パークエディティング代表
1974年生まれ。兵庫県西脇市出身。フリーペーパー「パクマガ」、「KPO ART NETWORK」、art book「PARK」編集長。過去3回で10万人以上の動員を誇る大型アートイベント「artbeat」を企画立案し、大阪事務局代表も務める。また、六畳川智人名義での関西ウォーカー連載など、ライターとしても活躍。編集を誌面上のものとしてとらえない独自の展開を続けている。
http://www.parkediting.com
genta kosumi ::: illustrator
1974年生まれ。Virgin Try Hardというユニットを通じて、ライブとアートの合体をめざす。EGO-WRAPPIN''のアルバム・ジャケットやヘアサロンの広告などを手がけるストリートアーティスト。めくるめく色彩で描かれる存在感のある人物たちは、見る人を魅了する。この度、MOVING KYOBASHIでもメインアーティストとして活躍。
masacova! ::: photographer
1974年大阪生まれ。大阪の専門学校でイラストを専攻した後、写真に転向。24歳の春、フリーランスになる。寝屋川をベースに制作を行っおり、数年前に撮った作品が、若手写真家の登竜門である写真新世紀に入選。その後空前の『ガールズ・フォト』ブームの火付け役として発刊された『シャッター・アンド・ラブ』で取り上げられるなど日本で写真を撮る女の子達にとってはまさに正統派とも呼べる経歴の持ち主。
mikako sawada  ::: editer
関西大学社会学部卒、学生時代より月刊エルマガジンで「キャンパス特派員」として学生ライター活動を始める。卒業後、同社入社、ミーツ・リージョナル創刊、SAVVY編集部を経て2000年エルマガジン編集長。今年7月末、同社を退社。人と会い、町を歩き、常に『おもろいネタ探し』を心掛ける、まさに編集者の鏡。
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